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ラジブ・ガンディ時代と「王朝」の衰退

閣議の了解もなしに会議派指導部によって急いで新首相に担がれたのは、長男のラジブ・ガンディ(一九四四-九二)である。インディラが自らの後継者としてかねて期待していた次男のサンジャイは、八〇年に軽飛行機を操縦中に事故死した。そこで英国留学後インド国内航空のパイロットを務めていた内向的で政治家向きでないとみなされていたラジブが、後釜として引っ張り出されたのである。下院議員に当選後は首相と党指導部のパイプ役を務め、会議派の幹事長になっていた。八四年末に行われた第八回総選挙では、インディラの悲劇的な最後に対する国民の広範な同情と、古手の政治家にはない清新な雰囲気を持つ「ネルーの孫」に期待が寄せられて、会議派は四〇三議席と、地滑り的な勝利を占めた。ネルーの最盛期においても、総議席の四分の三を上回ることはなかったから歴史的な大勝利であったといえる。

彼はケンブリッジに留学していた時以来ハイテク産業についての関心が高かった。そこで就任早々コンピューターなどの先端産業・情報産業を発展させるため、部分的自由化を含む諸政策に取り組んだ。インドのメディアはそんな新型の指導者に、いくらかの皮肉も交えて「コンピュータ・ボーイ」という渾名を付けている。清新な発想を持っているように思われた彼の政治スタイルは、母と同じ「王朝型」であった。一部の取り巻きを重用し、トップダウンで政策を決める権威主義的な手法を継承した。会議派の組織はすでに、下院の議席数が示すような強大なものではまったくなかった。「女帝」の上意下達指導で地方組織は弱体化しており、かつての強力な地盤を地域政党の進出によって食い荒らされるという事態は、まったく改善されていなかったのである。女帝暗殺の悲劇が巻き起こした同情票によって空前の大勝利かもたらされたことが、かえって党組織の衰退しつつある実態を覆い隠すことになったのである。ラジブは、母と同じ政治スタイルを用いながら、母のやらなかったことに手をつけて清新な印象を与えようと試みてはいる。

母の時代には終始対立していた中国との関係改善を図るために、祖父以来インドの首相としては実に三十四年ぶりに訪中したのはその一つである。母が遺した負の遺産の処理にも力を入れ、中央対州の対立を緩和しようと努力した。分離独立運動を沈静化させるために、八五年に、穏健派指導者であるアカリ・ダル総裁ロンゴワルとの間でまとめた合意(パンジャブの州権拡大、パンジャビ語の促進、ハリヤナとの共通州都チャンディガールのパンジャブへの移譲、などを含む)や、アッサムの運動指導者達との間で取り結んだ合意(アッサム人の文化的・社会的アイデンティティの保障、経済開発の促進、バングラデシュなどから流入する外国人の防止、などを含む)がそれである。しかしロンゴワルは過激派に暗殺されるなど、パンジャブの秩序の回復には成功しなかったし、アッサム情勢にも大きな変化は生じなかった。八七年には、スリランカで激化していた多数派シンハラ人と少数派タミル人の民族紛争が、タミルナドウ州のタミル人感情を刺激して国内政治の観点からも放置できない問題になったため、「インド平和維持軍」を派遣して、民族紛争を沈静化させることを狙った協定をスリランカ政府との間に結んだ。

ところが、スリランカの民族派からは占領軍と批判され、肝心のタミルゲリラの押さえ込みができないままに、九〇年三月には目的を達成できないで撤退している。九〇年には武器購入などに関して親中的な政策をとった内陸国ネパールに対し、経済封鎖を発動した。力を入れたはずの周辺外交は、とても成功したとは言い難い状況であった。ラジブを首相就任以来支えてきた有力者V・P・シン国防相と感情的な問題で仲違いし、彼を野党に追いやって反ラジブ運動の急先鋒にしてしまったのも、苦労知らずに育った「三代目」の失敗であった。国内の宗教政策も誤っていた。政権維持のために、ある時にはムスリム保守層にすり寄って、離婚した女性にはイスラム家族法を適用する法律を通し、それがヒンドゥ復古主義の団体から批判されると、選挙でヒンドゥ票を失うことを恐れて、のちに深刻な宗教紛争に発展したアヨ・ディアの寺院建設問題につながる妥協策を講じたのである。

一貫した定見や原則を欠いたまま右顧左阿したために、却っていずれからも信頼されない結果となり、不満と不信感を煽るだけに終わったのである。彼の「清新さ」イメージに決定的な打撃を与えたのは、スエーデンから購入した長距離砲をめぐる賄賂の疑惑が浮上した際に、納得できるような説明がなされなかったことである。汚い長老政治家とは異なる「ミスタークリーン」に寄せられていた大きな期待は急降下し、八九年の総選挙では、議席がほぼ半減するという大敗を喫した。代わって急成長したのは、二議席から八六議席に大幅に増やしたヒンドゥ主義政党BJPである。このあとしばらく、インド政治は大きく三つの勢力によって動いていくことになる。会議派を除く他の二つは、会議派に対抗する全国政党として急速に台頭してきたBJP(インド人民党)と、JD(人民党)を中心とした三政党が連合した第三勢力の「国民戦線」である。