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「国家政党」としての人民行動党

1986年テー・チアンワン国家開発相が、不動産開発会社から100万$ドルの賄賂を受け取った容疑で極秘に取り調べられていた。だが、彼は取り調べの最中に睡眠薬で自殺してしまい、事実関係は明らかにされないままになってしまった。おそらくテー氏は政治家としての自分の将来に絶望して自殺したのであろう。「クリーンな党」というイメージは国内外に定着し、今や「シンガポールはアジアで最も汚職が少なく、西側先進国のいくつかの国よりも汚職が少ない」と評されている。人民行動党が長期間国民の圧倒的支持を得てきた要因の1つが、この「クリーンさ」であったのは間違いない。政府の要人は決して私腹を肥やしているのではないと国民は信じているがゆえに苦況に耐え、政府の方針に従ってきたのである。この「クリーン」な人民行動党は1954年に結成された。

そして1959年にシンガポールが自治領となるに伴って実施された総選挙で勝利して以来、現在に至るまで一貫して与党の地位にある。その全党員数は公表されていないが、幹部党員は約500人と推定されている。シンガポールには、22の政党が登録されているが、人民行動党に代わって政権を担当すると予想される党はなく、また同党との連合政権の可能性も殆どないため、人民行動党の与党としての安定した地位は当面続くであろう。「人民行動党は単なる政党ではなく、すべての人種、全ての社会集団から支持を受ける国民的政治組織である」という同党幹部の発言からも察せられるように、人民行動党こそが現在のシンガポールの安定と発展を達成した原動力であると党指導者は信じている。また、その長期政権からしても、事実上の「国家政党」であるといっても過言ではない。人民行動党はまた、シンガポールの頂点に立つ政治エリートの集団である。

リー・クアンユーをはじめ「第一世代」と呼ばれる党結成時からの主力メンバーは、独立以前のシンガポールでは極めて少数のイギリス留学組であった。彼らは後に述べるように、エリートだけが国家を正しく導くと信じて疑わない。この「第一世代」の高齢化が懸念され始めた1970年代後半になって「第二世代」指導者が台頭してきたが、この「第二世代」指導者もまた、学歴・業績ともに優れ「第一世代」が厳しい適性審査を行なって選抜した若手のエリート政治家たちである。80年代になると「第一世代」は次々と政治の第一線から退きはじめ、90年にはリーが首相を辞任し「第二世代」指導者は重要な政治的ポストを任されつつある。では優秀なエリートだけが国家を正しく導くという思想を持った彼らは、いかにして権力を握ったのであろうか。また長期にわたって国民の支持を得てきたのは、彼らの清廉・潔白さ以外にどのような要因があったのであろうか。人民行動党の性格やイデオロギーを考えるためには「第一世代」の政治的信条を知ることが極めて重要である。

なぜならば、党結成以来、1980年代初頭まで「第一世代」がシンガポールの政治を担っており、現在でもその影響力は絶大だからである。「第一世代」といわれる党結成時からの主要メンバーは、リー・クアンユー、ゴー・ケンスイ、S・ラジヤラトナム、トー・チンチャイの4人である。党内では「もう1つの党」と呼ばれ、政府内においては「もう1つの政府」と呼ばれる。彼らの卓越した地位は、長期にわたって他の政治家を寄せつけなかった。これはゴー・ケンスイをして「わが国の政治は4人の政治である」と公言させ、また「誰も侵すことの不可能な地位」とも言われていた。確かにこの4人は長期間、党内の最も重要な地位を独占してきた。リー・クアンユーは党結成から1992年3月まで書記長、トー・チンチャイは結成から1981年まで委員長、ゴー・ケンスイとラジヤラトナムはそれぞれ長期間副委員長と政治局長を務めた。また4人は党の最高決定機関である中央執行委員会の常任メンバーであった。一方、政府内では、リーは1959年以来90年まで31年間首相の地位にあった。これは議会制民主主義国の首相としては最も長い在任記録である。

またトーは副首相(1959~1968年)、科学技術相(1968~1974年)、保健相(1974~1981年)のほか、1968年から1975年までシンガポール大学副学長も兼任した。彼は1981年に閣僚職から退き、1984年に党の要職からも退いた。ゴーは蔵相(1959~1965年、1967~1970年)、国防相(1965~1967年、1970~1979年)に就任し、1973年からは副首相も兼任、1980~1983年まで第一副首相兼教育相をつとめて、1984年に引退した。ラジヤラトナムは文化相(1959~1965年)の後、外相(1965~1980年)、1984年まで第二副首相(外務担当)、1985年からは総理府上級相を務め、1988年に引退した。この4人の中でもリー・クアンユーは常に中心的存在で、あらゆる点で最も大きな影響力を行使している。「トップの座にいる4人において最も特徴的なことは、リーと他の3人の隔たりであろう。リーは常に舞台の中心におり、3人は必ず袖に位置する。客席に響くのはリーの声である」「リー・クアンユーはあらゆる政策の意思決定に関わってきた。他の誰よりも主要な役割を果たしてきた」と評され、リー自身、彼が集団指導制のリーダーであり、3人は有能な補佐役であると認めている。人民行動党は「リーの政党」であり、シンガポールは「リー・クアンユーのシンガポール」と呼ばれるゆえんである。